札幌ペトロヴィッチ監督がJ1通算525試合の最多指揮記録達成
■J1第3節 新潟2-2札幌(4日、デンカビッグスワンスタジアム)
北海道コンサドーレ札幌は4日、敵地でアルビレックス新潟と対戦し、2-2で引き分けた。この試合でミハイロ・ペトロヴィッチ監督(65)は、史上最多となるJ1通算525試合目の指揮を執った。
広島6年、浦和6年、札幌6年
「私はこの記録に関して言えることは、感謝でしかないということ。これだけ長くJリーグで仕事ができたのは、多くの人の支えがあったからこそでしかない。広島で6シーズン、浦和で6シーズン、札幌で今年6シーズン目になるが、そのときに3クラブで支えてきてくれた会社やスタッフの皆さん、何より選手たち、そしてサポーターの皆さん。そういった多くの方々の支えがなければ、私はここまで来られなかった」。試合後の記者会見で感想を問われた指揮官は、日本でのキャリアを支えてくれた人々へ感謝の気持ちを口にした。
広島で黄金期の礎を築く
2006年6月、広島の監督にシーズン途中から就任し、日本でのキャリアをスタートさせた。07年シーズンにはJ2降格を経験するも、翌年のJ2で勝ち点100の圧倒的な成績を収めて優勝し1年でJ1復帰。11年シーズン終了後に退任するまでの6年間で、2度のカップ戦準優勝を達成。退任後の12年から4年間で3度のJ1優勝を果たした広島の黄金期の礎を築き上げた。
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浦和でルヴァン杯制覇
12年からは浦和の監督に就任。リーグ戦では6年間で2位2回、3位2回と、優勝まであと一歩及ばなかったものの、2ステージ制で行われた15年には1stステージを無敗で制覇。16年は全チーム中1位の勝ち点74を獲得(チャンピオンシップの結果により2位)。同年にはルヴァン杯を制覇するなど浦和でも一時代を築き上げた。しかし6年目の指揮を執っていた17年は、シーズン途中から急失速。7月29日の札幌戦を0-2で敗戦すると、その翌日に解任された。
札幌ではクラブ史上最高の4位に
18年に札幌の監督に就任すると、これまで堅守速攻型だったチームに超攻撃的サッカースタイルをもたらした。就任1年目にクラブ史上最高のJ1リーグ4位を達成すると、翌19年にはクラブ史上初のルヴァン杯決勝戦へと導いた。エレベータークラブとやゆされていた札幌を、J1に定着するまでに成長させた。
すでに次週の横浜M戦を見据え
この日の試合でJ1での通算成績は、525試合で228勝128分169敗。だがこの数字も通過点でしかない。「私はもうすでに頭が痛い。なぜなら来週の日曜日、札幌ドームで横浜M戦が待っているからだ。サッカーの仕事というのは、試合が終われば、また次の試合に向かっていかなければならない。そういう仕事だし、自分自身が常に仕事ができる、結果が出せるということを証明していかなければならない仕事だ」と、すでに視線は次節の戦いに向けられている。これからも監督としてのキャリアを積み上げ、札幌を強豪クラブへと押し上げていく。