《元赤黒戦士の現在地・岡本賢明ユース監督》何らかの形で札幌サポーターの前で試合がしたい ロアッソ熊本編
ドリブルとパスセンスに優れた攻撃的MFとして07年から13年まで札幌に在籍
今回紹介するのは、現在ロアッソ熊本のユースチームで監督を務める岡本賢明氏(34)だ。ルーテル学院高校(熊本)から2007年に北海道コンサドーレ札幌に加入。ドリブルとパスセンスに優れた攻撃的MFとして13年まで7シーズン在籍し、07年、11年と2度のJ1昇格にも貢献。明るいキャラクターで多くのサポーターから愛された選手だった。(以下、敬称略)
17年限りで現役引退 その後、熊本のアカデミースタッフ入り
札幌退団後の14年に生まれ故郷の熊本に加入。16年から2年間主将を務めるなど活躍したが、札幌時代に負傷した右膝の影響もあり、17年シーズン終了後に29歳で現役を引退。熊本のアカデミースタッフに就任し、22年から現職を務めている。
初めて監督に就任した昨季、熊本ユースはU-18サッカーリーグ熊本1部で優勝。今季から2部制に移行するプリンスリーグ九州の1部を目指して参入戦を戦ったが、決定戦で惜しくも敗戦し2部へ参入することになった。その1年を振り返り「最終的な結果もそうですし、自分の中で力が足りない部分がまだまだあったというのが正直なところ」と口にする。そうした反省点を踏まえて挑む2年目のシーズン。「ベースをしっかり上げる、当たり前の基準を上げる、というところをやっていきたいのが一つ。あとは選手が自分たちの意思で、自立してしっかりプレーできるように今年はやっていきたいです」。
「サッカー選手の素晴らしさ。現実的な厳しさ。しっかり伝えていきたい」
プロを目指して戦う選手たちに岡本は何を伝えようとしているのか―。「一つはサッカー選手の素晴らしさ。本当にチャンスがあるんだったら、絶対にみんな目指した方がいい。そこの華やかなところをしっかり伝えていきたい。そしてもう一つは、現実的な厳しさ。簡単に続けられるものではないから、しっかり自分に対して、いつも頑張らなきゃいけないんだよっていう。この二つは選手に伝えられるように、常日頃から自分の中で意識しています」。11年のプロキャリアで味わった明と暗を伝えて、未来のプロ選手を育成していく。
札幌「しまふく寮」の元寮母・村野さんが社長を務める会社と今季から業務委託契約
熊本は今季からユースチームの選手が暮らすアカデミー寮「翔馬寮」での食事提供の運営業務について、株式会社SundayMondayと業務委託契約を締結した。このきっかけをつくったのが岡本だった。同社の代表取締役は村野明子さん(55)。岡本が「しまふく寮」で暮らし始めたときに、寮母を務めていた人物だ。「寮をより良くできないかなと思ったときに、やっぱり自分の中ではしまふく寮が絶対に一番良い寮だって自負があったので、そのアドバイスをあっこさん(村野)にしていただきたいなって思って。『あっこさん、しまふく寮のときってどんな感じだったんですか?』っていう軽いノリの電話から始まって、あっこさんも今どこの寮もやってなかったことで、クラブの協力もあり、あっこさんの協力もあり、こういうふうに実現した。本当にうれしく思っています。あっこさんとこの間、話したけれど、やっぱり人とのつながりだよねって」。
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札幌での現役時代は「寮に入って、体がプロに順応。ベースをつくってもらった」
熊本の寮には同社のスタッフが在勤し、村野代表も月1回程度、訪問する予定だという。「寮に入ってから、体がプロに順応していって。体重が一気に増えて、筋肉量も増えて。そういう意味では、プロのベースをつくってもらった3年間だったかなと感じています」と、若い選手の食事による体づくりの大切さを身をもって知っている岡本。14年ぶりにタッグを組む二人によって、熊本ユースの選手たちがどのような成長を見せていくかも楽しみだ。
寮生活で共に切磋琢磨した宮澤、西と熊本キャンプで再会 「嬉しくもあり寂しくもあり」
岡本が「一番いい寮」と認めた「しまふく寮」。岡本が寮にいた頃は、FW石井謙伍(36)やMF西大伍(35)、藤田征也(35)、宮澤裕樹(33)、FW上原慎也(36)など、札幌の歴史に名を刻む選手たちと生活を共にしていた。その寮での生活を「むちゃくちゃ楽しかった」と振り返る。昨シーズン終了後、石井、藤田、上原が相次いで現役引退を表明。一方で西と宮澤は札幌で現役生活を続けている。3月9日まで行われた札幌の熊本キャンプの際に一緒に食事をした二人について「チームのリーダーとして、どうしていくかという話を熱くしてくれて。そういう話を聞くと、僕が若手のときに接していた二人じゃないんだなと思って、嬉しくもあり、ちょっと寂しくもあって。でも、当時一緒に過ごしたメンバーが活躍してくれるのは、僕にとって一番の刺激になります。選手と指導者で立場は違うけれど、サッカー界を盛り上げるという意味では変わらないと思うので。やっぱり二人には札幌を悲願のタイトルに向けて引っ張っていってほしいなという気持ちが強くあります」とエールを送る。
現役は「できる限り続けたかった。できるんだったら今も一緒にバリバリやりたかった」
右膝のけがの影響もあり、その選手たちよりも一足早く29歳で現役を引退した。もしもけがが無ければ、今でも現役を続けていたのだろうか―。「気持ちとしては、やっぱりやれるんだったら、もう何歳まででもやりたいなと思っていたので、できる限り続けたかったって気持ちはあるけれど。ただ、けがが無かったとしても実際に今できているかというと、そこは甘い世界でもないので。逆に言えば、けがをしたからこそ、サッカーを考える時間も増えて、プレースタイルも少し変化したりして、最後、熊本でキャプテンを任せてもらったりすることもできたのかなって。プラスなところも間違いなくあったと思うので、そこはちょっと分からなかったと思いますけれど、できるんだったら今も一緒に僕もバリバリやりたかったですね」。複雑な心境ながら、一つ一つを前向きに捉え、気持ちを持ち続けている。
一番の思い出に残っているのはルーキーイヤー、07年のJ1昇格 そして…
札幌時代の思い出については、「本当にたくさんあるので、1個、2個と言われると難しいけれど」と前置きし、「やっぱり自分が右も左も分からない中で、1年目にJ1昇格を達成できたことと、それに近づくようなゴールを終盤に決めることができたのは、自分の中でもインパクトに残っています」と、ルーキーイヤーだった07年のJ1昇格と、その時の自身の活躍を挙げた。
シーズン終盤の京都戦では「途中から入った自分と石井ちゃんで同点ゴール、逆転ゴール」
特に同年11月18日の京都戦(△2-2、札幌ドーム)のゴールについては強烈な印象として残っている。「そのときの選手たちからすごく言われるのは、ちょっと興奮しすぎて、ゴール後のパフォーマンスが自分でもどうしていいか分からなくて、後生に語り継がれるかっこ悪いパフォーマンスを出したのは、本当に良い思い出」。勝てば昇格決定の状況で、1点ビハインドの後半28分に石井謙伍からのパスを左足でダイレクトシュート。ゴールを決めた岡本は、コーナーフラッグの方へ両手を広げて走り出し、飛び上がって右手を振り上げた。最後は観客席に両手を高く上げアピール。自身ではかっこ悪いと評するが、3万2000人を超えるサポーターが熱狂した。「あの試合で勝てばってところだったので、途中から入った自分と石井ちゃんで同点ゴール、逆転ゴールってなったときの興奮は、本当なのかなって思うぐらい自分の中では高ぶる経験だった。そういうものをプロ1年目で経験できたのは、もっとこの世界にいたいって強く思うきっかけにもなった」。
札幌と対戦できれば「アウェー席にあいさつに行ける。自分の中で一番の目標」
指導者の道を歩み始めて6年目となった。岡本の将来の目標は「本当に何らかの形でいいけれど、熊本で頑張ってしっかりと結果を出して、皆さんの前で札幌と対戦したい。プロの世界であればアウェー席にあいさつに行けたりできるので、自分の中で一番の目標。楽しみです」。岡本が率いる熊本が、札幌とJ1の舞台で激突する。そんな一戦が近い将来に繰り広げられることに期待したい。
【札幌サポーターへのメッセージ】
自分にとって札幌は特別なチームですし、18歳のときに札幌に行かなければ、たぶん今みたいな生活を送ってないだろうなって思います。本当に支えてもらったのは、けがが多かったんですけれど、自分のプレーを楽しみにしてくれるサポーターの方たちがいたから、必ず復帰して、またこのチームで活躍しようって気持ちにいつもなっていたので。その気持ちを今も忘れずに、何らかの形で頑張ってるぞっていうのを届けたい一心で熊本で頑張っているので、またいつか皆さんと交流できる日が来るようにしっかり頑張って、またいつかどこかで会いたいです。
■プロフィール 岡本 賢明(おかもと・やすあき) 1988年4月9日生まれ、熊本県出身。2007年に高卒ルーキーとして札幌へ加入。同年の終盤戦から出場機会を増やし、10月20日の福岡戦(〇1-0、博多球)でプロ初ゴールをマークするなど、ルーキーイヤーで9試合2得点という結果を残してJ1昇格、J2優勝に貢献。09年途中に右膝に大けがを負い、以降その影響を抱え続けることとなるが、11年には9月21日の東京V戦(〇4-2、札幌ドーム)で終了間際に連続ゴールを決めるなど、25試合4得点の成績で、自身2度目となるJ1昇格に貢献した。13年には副キャプテンを務めるが、同年限りで札幌を退団。14年からは地元である熊本に加入すると、16年にはキャプテンに就任。翌17年もキャプテンを務めるが、そのシーズン限りで現役を引退した。引退後は熊本のアカデミースタッフに就任し、22年からユース監督となる。現役時代のポジションはMF。Jリーグ通算225試合出場24得点。