高校野球を年間350試合観戦する甲子園ラーメン店の千葉マネジャー ~駒苫の甲子園Vで激変した半生
北は名寄支部から南は九州、沖縄まで全国行脚 金髪・短パンの元道産子球児
高校野球好きが高じて〝甲子園の住人〟になった元道産子球児がいる。釧路市出身の千葉智紹さん(47)は、2022年4月に阪神甲子園球場内にオープンしたラーメン店「ストライク軒 NOODLE STUDIO」でマネジャーを務めている。04年夏、駒大苫小牧の北海道勢初優勝に魅了され、いまでは春夏の甲子園大会全試合観戦はもちろん、北は名寄支部から南は九州、沖縄まで全国各地の甲子園ロードを追いかけ続けている。
金髪に短パンがトレードマークの千葉さん。2年前、友人だった同店の芦田雅俊社長から「親よりも誰よりも、まず一番最初に声を掛けた」と、それまでの信用を買われてマネジャーのポストに誘われ、千葉さんも「甲子園でやるのは面白い」と即決したという。いまはバイトのシフト管理や球場との交渉事など主に店舗の切り盛りを任されている。
甲子園観戦後、球場内のラーメン店では大好き芸人・いけだてつやのトークライブも開催
甲子園の大会期間中は内野スタンドで試合を観戦。終わると13号門と14号門の間にある店舗へ向かい、エプロン姿で仕事に精を出す。店内の大型モニターには過去の試合の名シーンを流し、現在行われている選抜甲子園の開会式翌日夜には、交流がある高校野球大好き芸人いけだてつやさんを招いてトークライブを開催。大きな盛り上がりを見せており、甲子園の新たなホットスポットとなっている。
人生が変ったのは04年夏 駒大苫小牧が道勢初優勝を飾った伝説の決勝戦を観戦してから
年間の試合観戦数は、高校野球だけで練習試合なども含めて約350ほどになる。人生を変えた原点は、04年夏の駒大苫小牧-済美(愛媛)の伝説の決勝戦だ。当時、大阪在住だった千葉さんは友人に誘われて甲子園へ。釧路江南高時代は軟式野球部に所属していたこともあり、「選抜甲子園に入った時に野球が好きな自分を思い出した。甲子園のオーラにやられた。すぐに夏から、じゃあ全部行こうってなって。大阪大会が行われる藤井寺球場へ行ったのが始まり」。そこから高校野球中心の生活がスタートした。
ずっと続けているこだわりがある。それは「一番短い夏と、一番長い夏を見ること」。日本で最初の地方大会で敗れて引退する3年生と、甲子園の決勝で夢を成し遂げた3年生を見ることだ。「(地方大会の)複数が重なるときには1試合目が早く終わるところを優先する。函館と札幌が重なった場合は、札幌の方が開会式が長いから函館とか」と、事前にスポーツ新聞などで対戦日程を調べ、観戦計画を立てている。
「部員が助っ人でも一生懸命、打ち込んでいる学校に心打たれる」
単に強いチームを見ることが好きなわけではない。「ドラフト候補探しみたいなのは一切無くて。1試合1試合、同じ見方。野球に特化した強豪校対決より、感動の度合いでは部員が助っ人でも一生懸命、打ち込んでいる学校に心打たれることもあります。一生懸命やってるってのは、それぞれのキャパの中である。環境もあるし、もちろん家庭の事情とか。描かれるドラマが好きなのかもしれない」。釧路の自宅に寝泊まりするのは年に3~40日ほど。ほとんどがホテル暮らしの毎日だ。
本業は音楽プロデューサー 全国各地でライブを開催し「BiSH」も出演
元々の本業は音楽プロデューサー。高校時代は仲間と「ガッツ~愛の伝道師」「THE OTHERS」など複数のバンドを組んで地元で活躍した。高校卒業後に上京して22歳の頃から音楽業界に携わり、国内外のライブハウスや地元の霧フェスなど、会場の規模や場所にとらわれず自ら立ち上げたライブイベント「SET YOU FREE」を開催。これまでに銀杏BOYZ、BiSH、サンボマスター、氣志團らが出演したこともある。
30歳からプロレスラーとしても奮闘 大仁田厚、3代目タイガーマスクとの試合経験も
肩書きは、それだけにとどまらない。30歳の時にグレートプロレスで後楽園デビュー。これまでUWAインターコンチネンタルタッグ、ラテンアメリカのシングル王者、WBCタッグで王座を獲得してきた。大仁田厚、田中将斗、3代目タイガーマスクの金本浩二らとの試合経験もあるという。
駒苫・香田元監督とも親交 「北誉会」には第2回の開催時から参加
それぞれの活動で全国各地をまわる中、様々な人たちとの交流も生まれた。顔見知りになったプロ野球のスカウトもおり、多くの高校指導者とも親しくなった。道勢初優勝に導いた元駒大苫小牧監督の香田誉士史氏(52、西部ガス監督)とも親交があり、道内各地の監督らが指導方法などを熱く語り合う「北誉会」には第2回の開催時から参加している。
選抜甲子園が終わると、全国各地で開催される春季大会を巡る旅がまた始まる。千葉さんのスケジュールはすでに秋までびっちりだ。「来年、甲子園に通って20年目で、甲子園が100周年。その時に甲子園で働いているのは何かの縁を感じます」。歴史を越えても球児たちが織りなすドラマへの好奇心は尽きない。千葉さんの旅はまだまだ終わりそうにない。