《元赤黒戦士の現在地・飲食店を経営する三原廣樹さん後編》かつて小野伸二にインパクト与えた直接FK弾は「蹴る前から入るのが分かった」
同期入団の砂川コーチ、プライベートでつながりのあった小野とは今でも親交
三原廣樹さん(44)さんが北海道コンサドーレ札幌を退団してもう20年近くになるが、今でも連絡を取っている札幌関係者として砂川誠コーチ(45)とMF小野伸二(43)の名前を挙げる。(以下、敬称略)
砂川コーチとは共に03年に札幌へ加入し、在籍当時には一番仲が良かった。しかし、同じチームでプレーしたことがない小野とは、意外なところでつながっていた。「伸二の弟が一時期札幌にいて、その関係で沖縄で会ったのが最初。たまたま僕のことを覚えてくれていて、FKだけ覚えてます」と言われたのだという。
小野が浦和の主将時代に対戦し、直接FK弾決めて鮮烈な印象を与えた
そのFKとは、三原が鳥栖に在籍していた2000年7月9日のJ2第23節浦和戦で、当時浦和のキャプテンを務めていた小野の目の前で前半12分に決めた鮮烈な直接FKのことだ。ゴール正面約30メートルの位置から左足で放たれたボールは、鋭く曲がってポストに当たりながらもゴールマウスへと吸い込まれた。
このゴールで先制した鳥栖は2-0で浦和に勝利。浦和にとって、当時J2首位を走っていた札幌との勝ち点を7差に広げられる痛い敗戦だった。「その時のことを覚えていると言っていて、『それだけ覚えてます』みたいな。笑い話ですけどね」。三原の左足キックは文字通り〝名刺代わりのFK〟となっていたということだ。
鳥栖時代3度決めたFK弾は極限集中でゾーンに入り、蹴る前からゴール確信
この年は6月に名古屋から鳥栖へ期限付き移籍。鳥栖では5得点をマークしたが、そのうち3得点は直接FKによるゴール。「鳥栖の時は(FKが)入る気しかしなくて不思議でした。あの時の感覚は、たぶん一生無いかもという感覚でした。蹴る前から入るのが分かって、『これは決まる』というのが何回かあって。決まった3つのFKは分かって蹴っている感じでした」。極限の集中力から、蹴った後の結果までもはっきりとイメージしていたという。
元々高校生の時からたくさん練習してきたFK。高卒ルーキーとして加入した名古屋では出場機会に恵まれなかったが、〝ピクシー〟ことFWストイコビッチ(58、現セルビア代表監督)やFWウェズレイ(50)といった名キッカーがFK練習をしている中で一緒に参加し、蹴り方も教わっていたという。そうして磨かれた左足を携え、03年には札幌へ完全移籍加入した。
名古屋時代に指導を受けていたジョアン・カルロス監督との因縁
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三原の加入決定後に札幌の監督就任が発表されたのが、鹿島や名古屋で監督を務めていたジョアン・カルロス(67)だ。三原にとって因縁浅からぬ人物だった。「名古屋で僕は嫌われてて。札幌に誘ってもらった時にジョアンはまさか来ないですよねと聞いたら、『たぶん来ないと思うから大丈夫だよ』と言われて。だったらお願いしますって言ったら、一緒に来ちゃって。俺、終わった、と思った」と、前途多難を予想していた。
ところがここでも持ち前の反骨心を発揮し、逆境を乗り越えた。「逆に自分の中で、個人的にジョアンを見返そうという気持ちがすごく強く出て、そしたらちょっと試合に使ってもらえて。絶対に使うはずがない監督が僕を使ったので、それがすごく自信になった」。
札幌に加入した03年はウィルらブラジル人選手のおかげでキッカー叶わず
03年の札幌はブラジルトリオの大型補強を敢行。01年に札幌でJ1得点王に輝いたFWウィル(49)が再加入し、代表で背番号10を付けたこともあるMFホベルッチ(52)、同じく元代表で、後に広島でもプレーしたMFベット(48)が在籍。特にウィルやホベルッチは三原と同じ左利きで、精度の高いFKを蹴っていたため、なかなかキッカーの役目は回ってこなかった。
当時は「(FKを)蹴りたい人ばかりだったし、実績、結果を残している人たちばかりで。僕はそんなに結果を残してなかったので、蹴りたいという気持ちはありましたが、譲ってしまっていた」。その年の札幌は開幕当初から波に乗れず、ブラジルトリオは全員シーズン途中で退団。夏場にはカルロス監督も辞任した。
04年は上里が入団 最初は「FKを教えてください」と言われたが…
経営面を見直し、育成型クラブへの転換を図った04年。8人の新卒選手の中に、三原と同じく左足の強力なキックを武器とする選手が入ってきた。それがMF上里一将(37)だった。
「『FKを教えてください』とか、『すげぇ』とかって言ってくれたけど、(上里のキックを)何回か見たら、もうかなわないと思って。カズの方が全然ポテンシャル高いし、すげぇヤツが来たな」と思っていた。
開幕スタメンをつかむも第4節・湘南戦で左ひざ前十字靱帯断裂 全治9カ月と診断
この年、三原は背番号7を付けて自身初の開幕スタメンをつかむと、左WBの位置で攻撃の起点となり、3試合連続でフル出場を果たした。だが、4月3日の第4節・湘南戦の前半39分、相手選手ともつれた際に左ひざ前十字靱帯を断裂してしまった。全治9カ月の大けがだった。結局このシーズンはそれまでの4試合の出場にとどまった。
05年は背番号10 第4節・仙台戦で約1年ぶりに戦列復帰 9月に加入後初得点を記録
翌05年は、さらなる期待を受けて背番号を10に変更。3月26日の第4節・仙台戦で約1年ぶりに戦列復帰を果たすと、主に試合途中から攻撃の切り札として起用されることが多くなった。そしてシーズン5試合目の先発起用となった9月4日の第30節甲府戦の前半5分、ついに待望の瞬間が訪れた。札幌加入3年目での移籍後初得点。それはFKではなく、利き足の左足でもなく、右足でのゴールだった。
アシストとしたのはMF岡田佑樹。「オカちゃんからすごく良いボールが入って、もう合わせるだけだった。そんなに難しいシュートじゃなくて、決めてください、みたいなボールだったから、9割ぐらい岡田くん(のゴール)」と振り返る。その日の札幌はこの1点を守り切り、1-0で勝利した。
「勝ったら3位圏内に行けるというので、ゴールを意識していた」との言葉通り、その時点でJ1入れ替え戦出場圏内の3位に浮上。しかし、この試合でも前半25分に左足首を痛めてしまい、またも負傷退場。それ以降は3試合の途中出場にとどまり、同年限りで札幌を退団することとなった。
結果的に札幌での3シーズンで直接FKを決めることはできなかった。「たまにバーに当たったけど、札幌でだと決めてない。アシストは何回かしているけど。札幌サポーターの人にあれだけ応援してもらったのに…」と、悔しさは現在も残っているという。
現在も札幌の結果をチェックし一喜一憂 「勝つと自然とガッツポーズ」
「今でも無意識に札幌の結果を見ちゃうんですよね。やっぱり負けるとテンションが下がるし、勝つと自然とガッツポーズが出て。お世話になったから意識してとかそういうのではなく、もう自然と体が覚えているというか。自分のチームみたいになっちゃっているのが不思議」と、遠く離れた九州から、札幌のことを応援してくれている。
札幌というクラブが大きく揺らいでいた03年から05年という時期に在籍し、故障を抱えながらもチームのために戦い抜いた三原。記録には刻まれなかったが、その左足から放たれるFKは多くの人の脳裏に刻まれていることだろう。いつの日かまた札幌との縁がつながってくれることに期待したい。
【札幌サポーターへのメッセージ】
今は、いちサポーターとして札幌を応援して、毎試合結果を気にして見ています。あの時のサポーターの皆さんから頂いた温かい気持ちが僕の中にずっと残っていて、そこから今の仕事にも通じる大事なものを教わったということを、今すごく感じています。
こうやってお店もやっていることですし、いつか札幌、北海道でも展開するようなことができないかな、と常々思っているので、近い将来、そういうことができるようになって、またお会いできたらいいなと思っています。
■プロフィール 三原 廣樹(みはら・ひろき) 1978年4月20日生まれ、佐賀県出身。佐賀商業高から97年に名古屋へ加入。99年にFCウニヴェルシタテア・クラヨーヴァ(ルーマニア)へ期限付き移籍。翌2000年6月には当時J2鳥栖に期限付き移籍し、22試合で5得点をマーク。01年は名古屋に戻るも出場機会に恵まれず、02年6月のJ2福岡期限付き移籍を経て、03年に札幌へ完全移籍した。度重なる故障に苦しんだが、強力な左足のキックと高いテクニックを武器に3シーズン在籍。06年には当時JFLの琉球に完全移籍し、07年シーズンをもって現役を引退した。Jリーグ通算77試合7ゴール、JFL通算34試合4ゴール。現役時代のポジションはMF。利き足は左。現在は、居酒屋「三原豆腐店」やカフェ「TOFFEE」を運営する株式会社「Co.193」で代表取締役を務めている。