《人ほっとコーナー》山瀬と切磋琢磨し、現在は青森山田高サッカー部で指揮を執る正木昌宣監督(41)
中学時代は元日本代表MF山瀬とともにブラジル留学 指導者としては20年目
札幌市出身で、中学時代に元日本代表MF山瀬功治(41、J2山口、北海高出)とともにブラジルへ留学した正木監督。高校は青森山田高に進み、2004年に仙台大卒業後、OBコーチとして同校に戻って来た。現在J2で躍進中の町田ゼルビアの監督を務めている黒田剛前監督(52、登別大谷高出)の右腕として19年間チーム強化に携わってきたが、22年秋からはその後を受け継いで新監督就任。高校世代の頂点を極めるため、名門サッカー部のタクトを振るっている。
同じ道産子の黒田前監督の後を引き継ぎ 今年もチーム目標は「高校3冠」
偉大な恩師のサッカーを継承しながら、新たな伝統を築き上げていく。春からの公式戦に向けて、「3冠という目標をチームでずっと掲げています。私個人としても高校サッカーにこだわっている意味は、選手権で優勝したい、そしてプロ選手を多く輩出したい、サッカーを続ける生徒を増やしたい。いろんな考えでいるので、大会の目標と言われれば今年も3冠」とブレることはない。
伝統の堅守速攻に「もう少し攻撃のバリエーションを増やしてあげれば」
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青森山田の代名詞「堅守速攻」をさらに進化させる。「黒田前監督がやってきたことは、間違いなくJユース、高体連の中でもトップクラス。特長は守備力。守備のところはかなり細かくやってました。引き続き継承していきたい。その中で監督のスタイルである堅守速攻っていうベースがあって、それにプラスアルファ、もう少し攻撃のバリエーションを増やしてあげれば。そこにチャレンジしています。ここ何年かはボールをつなぐことも蹴ることもドリブルすることも、何でもできるサッカーをずっと掲げてやってきてました。そこは大きく変わることなくやっています」。常に立ち止まらない姿勢が、高いレベルを維持することにつながっている。
コーチ時代から「監督ぐらいの気持ちで責任感を持ってやっていた」
2021年度に高校サッカー3冠を達成するなど、全国タイトル過去9度獲得を誇る名門。今年も68人の新入生が入部し、総勢211人を6カテゴリーに分けてスタッフ10人で指導している。そんな〝超〟の付く名門を託されたのは昨年の10月中旬だった。
前監督と2人で話す機会があり、「Jの方にチャレンジしたいと思ってる。これからの山田をやってくれ」と託された。コーチ時代から「(自分が)監督ぐらいの気持ちで責任感を持ってやっていた」と、正木監督はそこまで悩むこともなく、逆に「おめでとうございます」と話すぐらいの余裕があったといい、すんなりとバトンを受け取ったという。
今の自分があるのは「高いレベルを経験させてもらえた」黒田前監督のおかげ
「黒田前監督には、本当に指導者として成長させてもらった。勉強もそうだけれども、一番はこういう高いレベルを経験させてもらえた。今の自分があるのは間違いなく、そのおかげ。指導者の全てはここで学んでいるので、有意義な19年間を過ごせたかな」。現役時代を含め、人生の半分近くを共に過ごした恩師に感謝する。
4月16日は高円宮杯U-18プレミアリーグイースト第3節の旭川実業戦で、監督となってからは初めて北海道に降り立った。「うれしいですよ、やっぱり。北海道にOBたちも何人もいますんで」と道産子の血が騒ぎ、同戦も3-0の快勝に導いた。
「武器を磨け」人としての自立を全部員に要求 次のステージでは自らの足で歩めるように
名門では常に勝利を求められるが、それが全てではない。「サッカーもそうだけど次のカテゴリーでは大人になるので、人として自立するところは全部員に求めています。挨拶するとか、当たり前の礼儀作法は確立しておかないと、どの舞台にチャレンジしても長続きしない。その中で、サッカー選手としての必要なスキルや能力を鍛えていく。『武器を磨け』とはよく言ってます」。次のステージでも自らの足でさらに前へ進めるように、高校年代でしっかりと育て上げていく。
■プロフィール 正木昌宣(まさき・まさのり) 1981年5月22日生まれ、札幌市出身。札幌澄川小時代は、FWとして札幌選抜、北海道選抜に選出。卒業と同時に、同学年で現J2山口の元日本代表MF山瀬功治(41、北海高出)とともにブラジルへ留学して約2年間、サッカーの本場でもまれて帰国。札幌澄川中3年時、中学の先輩が青森山田高に進んだ縁で黒田前監督から声を掛けられて同校へ進学。1年時から公式戦に出場すると、主将を務めた99年の3年夏を除き、インターハイと全国高校選手権で5度、全国大会を経験。仙台大でも2年時から4年時まで全日本大学選抜入り。卒業後の2004年に母校の青森山田高に戻った。同校のトップチームが青森県大会で敗れたのは99年夏が最後。以降20年以上、県内での無敗を誇る。