【コロナからの夜明け】① 今春から上京3ピースバンド・KALMA ボーカル畑山「北海道のバンドとして名を残す」
5月8日に新型コロナウイルスの感染症法上の位置付けが、インフルエンザなどと同じ「5類」に移行される。コロナ禍ではあらゆる制限のあったエンタメ業界だが〝自由度〟は徐々に増している。この「コロナからの夜明け」では、苦境を乗り越えたアーティストやライブハウスなどを、不定期の連載で紹介していく。第1回は、若者を中心に人気を博している北海道発の3ピースバンド「KALMA」。ボーカル&ギターの畑山悠月が、2023年に向けての抱負を語った。
20年3月メジャーデビュー、いきなりコロナ禍
20年3月4日にメジャーデビューを果たしたKALMAだったが、いきなりコロナ禍に直面。同年に予定していたワンマンツアーも軒並み中止や延期となった。無観客による配信ライブも行ったが、畑山は「本当にもうやりたくない。やっぱり(会場に)お客さんがいてナンボだし、画面の向こう(に届ける)っていうのはちょっと難しい世界だった」と唇をかんだ。
まさかの形でデビューの勢いを削がれたが、必死に歩みを進めてきた。「(ライブで観客が)声出しができないとか、そういうものとすごい戦ってきた。悔しい気持ちもありつつ、いつかみんなで笑える日が来るのかな、と希望をすごく持っていた3年間だった」と、一筋の光を頼りに苦しい日々を乗り越えた。
今年に入ると観客の声出しが解禁となり、コロナ禍以前の光景が戻りつつある。「本当にお客さんの存在がめっちゃでかかった。お客さんがいなきゃ、俺たちはやっていけない。(コロナ禍)前までのライブハウスが戻ってきた」。
ファンの存在なくして楽曲は完成しない
ファンの存在なくして楽曲は完成しないと言う。「KALMAの曲ってレコーディングして発売してもまだ完成していない。ライブでお客さんと一緒に歌ってやっと完成する。みんなで完成させるのはこういうことかって最近気付きました」。観客も溜まっていたうっぷんを晴らすかのように〝爆発〟している。畑山は「僕よりも大きい声で歌うから、自分の声が聞こえなくなる」と笑う。
今年は、KALMAにとっても大きな転機となりそうだ。これまでは札幌在住で活動していたが、今春から拠点を東京に移す。1月には株式会社AOKIが展開する「ORIHICA」のWEB動画タイアップソングとして、KALMAのカバーしたTHE BLUE HEARTSの「TRAIN―TRAIN」が選ばれた。誰もが知る名曲のカバー依頼に3人とも「俺らがやっていいのかな」と声を揃えたそう。それでも「めちゃくちゃいいものに仕上がる自信があった。好きにやらせてもらったけど、ちゃんとリスペクトを込めた」と胸を張った。
北海道のロックバンドとして、さらに名を広める段階に入る。「フェス(の出演)もたくさん決まっているし、そのフェスの1本1本で、ちゃんと北海道のバンドとして名を残す。東京に行くことは札幌を捨てるとかではなく、札幌をより大切にするために行く。北海道、札幌のバンドなんだぞっていうのをずっと忘れずにやっていきたい。東京に行けば、今よりもKALMAを北海道のバンドっていうことを認識してくれる人が増えると思う」と、畑山の言葉に自然と熱がこもる。
次の目標はライジングサン出演
そして、畑山には当初から目標にしていたイベントが2つあった。1つは岩見沢にて開催される音楽フェス「JOIN ALIVE」。こちらには史上初めて高校生での出演を果たした。その後、次の目標となったのは自身が生まれ育った石狩湾新港で開催される「RISING SUN ROCK FESTIVAL(RSR)」のステージに立つことだ。今年も「ARABAKI ROCK FEST.」や「JAPAN JAM」などといった大型野外フェスへの出演を決めているが「RSR」は未経験。「自転車で見に行っていたので、自転車でステージに上がるっていうのをやりたい」とイメージを膨らませている。さらに「ラーメン山岡家」の大ファンであることから「入場は『山岡家』の歌」と屈託のない笑顔を見せた。
5月からは全国14カ所以上を回る対バンツアー「チャレンジャーツアー 2023 ~初夏~」を予定している。「みんなに愛されるバンドになりたいっていうのが、ずっと僕の中では一番大きくある。お客さんからはもちろんだけど、同じバンドマンとかにも愛されるバンドになりたい」。疾走感あふれるメロディーで、コロナ禍を突破してきた道産子バンド。〝障害〟のない道をどう駆け抜けるか、楽しみだ。
■プロフィール KALMA(かるま) 2016年4月に結成。ボーカル&ギターの畑山悠月、ベース&コーラスの斉藤陸斗、ドラム&コーラスの金田竜也からなる3ピースロックバンド。メンバー全員が北海道出身で2000年生まれ。18年7月には、岩見沢開催の野外音楽フェス「JOIN ALIVE」に史上初の高校生での出演を果たした。20年3月、ミニアルバム「TEEN TEEN TEEN」で、ビクターエンタテインメント内のSPEEDSTAR RECORDSからメジャーデビュー。21年10月には、初のフルアルバム「ミレニアム・ヒーロー」をリリースした。